辛いのに癒しであるという謎現象。
本番10日前の本日の稽古は通し稽古でした。
明日。スタジオ入りだ。
やればやるほどに今回のような台本を書く、作品を作ることの恐ろしさを痛感している。心のガードが無くなって、普段なら大したことない事柄に容易に傷つく。でも、通し稽古で目の前に現れたものは私を癒してきやがった。
不思議なものだなあ。https://t.co/HBF6uiIuI4— 木村恵美子 (@lo0__0ol) January 21, 2018
Twitterにも書いたんですけど、びっくりしたんです。辛いと思ってた作品に癒された。
昨日分の稽古日誌にも書いたんですけど、正直この作品は木村も怖いのであります。やってて辛い。木村が怒ったこととか悩んだこととか、正直触りたくない部分に手を突っ込んで書いています。
それにしてもなんていうんですか。私のメンタル的強度の問題とも思うんですが、そういうことやっていると凄い勢いで心のガードが無くなっていきます。心が元気じゃないわけじゃない、のに。
だからちょっとした失敗をいつまでもくよくよ気に病んだり、不必要に自分を卑下したりして、いる。基本生真面目だが要領は良くないので、そういう小さい失敗はちょくちょくする。
「出来ない」のは「わかってる」とは言わない
なんてよく言いますけどね、そんな風に思ってたら気が持ちませんって解ってるんですけど気に病んでしまう。今までの劇作でも手はつっこんでたつもりだったんですけど、浅かったのかもしれないな、なんて反省はしています。
で、稽古の場は俳優陣にはあんまり漏らさないけど(漏らすときも3割くらいあるけど)、バリバリ傷ついているんですね。シーンの解像度を上げていく作業はもちろん楽しいんですけど、自分の見たくないところとかがまさに目の前にあるので、傷つく。だからちょっと通し稽古は怖い存在でした。
でも、今回、違ったわけです。
俳優ってすごい。

それってどういうことなのかな?って思ったんですけど、
やっぱり俳優ってすごい存在なんだな
という結論に至りました。
今日も稽古場で沢山話してました。とある大事なシーンの話。
kazakami稽古、俳優陣が私の問題意識を一緒に背負ってくれて、一緒に考えてくれて、なんてありがたいことだろうなあと思っています。いつも俳優陣に助けてもらっているけれど、今回の"背負っている"感はまた一味違っている。もっと手が伸ばせそう。ずっと何かが輝いている。掴みたい。 #kazakami
— 木村恵美子 (@lo0__0ol) January 14, 2018
先日Twitterでこんなことも書きましたが、今回特に自分が嫌なところに手を突っ込んでるから、その分俳優陣も厳しい部分があると思うんです。でも、向き合ってくれている、厳しい、そしてものによっては一般化されてないその課題に。
毎度毎度俳優をしている方々のその姿勢には感銘を受けるのですが、今回、題材も題材なのでその重みが凄いのです。向き合うのが俳優の役割だとしても、それが出来るのって本当にすごいことだと思うのです。
多分、多分私は、その、背負ってくれているエネルギーのようなものが一つの流れになって、上演の形を成している、その事実にとても、希望を見たのではないかと思う。だから予想外に癒されてしまったんだと思う。少なくとも私は一人じゃないって、ちゃんと思えたし、
しっかり、客席にいる一人ひとりに届く形に向かっていけてるなって思ったんだと、思うんです。やあ、ホント、本当は自分の心から出したくないものをここまで出すっていうのは、本当に怖い。
まだ、ブラッシュアップのために視点を自身に向けてしまっている状況でもあって、まだまだ内にむかってしまっているけど、あと一週間、外に外に、向かっていける作品にしていきたいと思います。
●公演情報●
kazakami 存在と証明1
『カザカミ』
2018年1月31日(水)~2月4日(日)
@花まる学習会王子小劇場
